楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

私の山歩き事始め

2021年8月10日(火)
私が50年来続けている趣味に山歩きがあります。昭和44年(1969年)仙台の大学を卒業後、最初の勤務地が東京は王子・荒川の工場だったので、大森の独身寮から京浜東北線と都電で通勤しました。初めての東京の夏は炎熱地獄、エアコンのない独身寮の部屋では眠ることができず、屋上にマットを持ち出してひと夏をやり過ごしました。コンクリートジャングルの東京にも馴染めず、三年目の夏に緑と涼を求めて山歩きを始めました。それまで山は全くの素人、最初に行った山は単独行でも安全そうな人気のある尾瀬でした。
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登山地図に押した沼田駅のスタンプを見ると、昭和46年(1971年)8月1日~2日のことです。
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7月31日、上野駅上越線夜行で立ち小出駅へ、8月1日、小出駅から一番バスに乗り枝折峠を越えて銀山平へ。そこから定期船で銀山湖を航りハヨ止め(尾瀬口)へ。そこからは只見川沿いに林道を歩き、砂子平、小沢平などの檜枝岐村出作り小屋の並びを過ぎ、更に尾瀬口山荘、渋沢温泉小屋、三条の滝を経て元温泉小屋に宿泊。当時はオンシーズンの予約無しでも泊めてくれました。
翌日2日、尾瀬ヶ原を抜けて山ノ鼻から至仏山に登りました。至仏山は「深田久弥百名山」を目指す人が、百名山の最後に上る山として有名ですが、私の登山歴の最初の山になりました。以来50年、関東と東北の山を主体に664山(延べ895山)に上り、深田百名山にも50座ほど登りましたが、何時の頃からか登山者が多いのに辟易し百名山は敬遠、体力も低下した最近は、専らハイカーに殆ど出会わないような低山&藪山を選んで歩いています。
それはともかく、至仏山頂から小至仏山を経て鳩待峠に下り、そこからバスで戸倉、沼田駅に出ました。駅舎内にあった、上記のディスカバージャパンのスタンプを押したのが、この山旅のフィナーレとなりました。