楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

私の釣り事始め

2021年9月10日(金)
私の趣味のひとつに「魚釣り」があります。多賀城市に住んでいた母方の従兄に手ほどきを受けたのは小学校の低学年の頃、最近は殺生が何となく嫌になり、又住んでいる柏市は釣り場(主に河口、堤防、岸壁、海岸)から遠いので出かける事も稀ですが、60年来の趣味です。祖父が釣りキチだったそうで、昔の家の廊下の天井桟に各種釣竿がずらりと掛けてあったのを覚えています。祖母はきのこや山菜採りの名人だったとか、どうやら二人の血を引き継いだようです。😆
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それはともかく、小学校の高学年になると、日曜日の朝、ひとりで宮城交通赤バス)の一番バスに乗って多賀城市に釣りに通うようになりました。当時の大人たちは生きるための仕事に忙しく釣りは子供の領分、但し趣味や遊びではなく、家族の期待を背負ったオカズ(たんぱく質)確保のための漁労でした。
釣り場は、国道45号線(仙塩街道)と仙台臨港鉄道線がクロスする所にあった小川、砂押川の支流です。鮒やハゼも釣れましたが本命は鯰(なまず)です。鯰は夜行性なので夜釣りがベストですが小学生には無理、日中でも掛かる曇りや雨の日を選んで出かけました。上がるのは20~30cmの子供のニホンナマズ(当時、アメリカナマズはいません!)でしたが、持ち帰ると、お袋が早速俎板に乗せ、内臓を抜いたナマズを、頭もヒレも骨も全て一緒に出刃包丁で叩いて、つみれ汁をこしらえてくれました。鯰は淡白で上品な白身魚、泥臭みや生臭みは無く、非常に美味しかった事を覚えています。私の中では今も懐かしいお袋の味第一号であります。(写真は鯰ではなく、クロアチアはザダルの堤防釣りで覗かせてもらったベラの一種、キュウセンかも)