楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

浅間山

2022年2月4日(金)
島崎藤村の小諸在住の記録「千曲川のスケッチ」には、浅間山中腹の山番小屋まで行った記述はありますが、山頂までは当時登路がなかったのか、登頂した記録はないようです。以下は私の浅間山登山記です。
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2000年9月2日(土)、歩程8時間40分、同行妻
今日は昭和58年(1983年)の噴火以来登山禁止となっている浅間山に登る。先日の下見で登っている人を見かけたのである。7:50出発、国道18号線を走り、小諸からチェリーパークラインを上り、9:50車坂峠駐車場着。10:00出発、中コースを往く。ツリガネニンジンマツムシソウ、リンドウなど秋の花、紫の花の盛り。外輪山の稜線に出ると間もなくの11:17トーミーの頭。ガスで真っ白で浅間山も湯の平も全く見えない。1時間粘ったけれど何も見えなかったと言いながら、落胆したハイカーが続々と黒斑山から降りて来る。ままよと草すべりを急下降、斜面にはウメバチソウトリカブト、リンドウが咲いている。12:17湯の平に下り立つ。その頃からガスが晴れてくる。ガンコウラン、クロマメノキ、コケモモが実を着け、大群落のマツムシソウが風に揺れて、山は秋である。12:37浅間山本峰(釜山)とJバンドの分岐、そこから前掛山の山腹に斜めに切られた砂礫の道を登る。何組かの夫婦が降りてくる。それほどの急登ではないが、富士山と同じで歩きにくく、睡眠不足の妻は辛そうに見える。14:05釜山(中央火口)の縁に立つ。直径500mほどの円筒状の火口の底は、赤茶や黄色に焼けて噴気が濛々と立ち昇り、今にも爆発しそうな凄まじい光景、活きている火山は圧巻で、まさに火の山・鬼の山、到底長居する気にはなれない。火口縁を四分の一周しただけで早々に下山にかかる。Jバンドへ向かう緩斜面でクロマメノキの実(アサマブドウ)摘み、地を這う低木に黒熟した実がびっしり付いており、ジャムを作れる位の量を簡単に採集する。15:20 Jバンド基部、15:55 Jバンド上部、そこからは先日歩いた道である。16:37仙人岳、16:54蛇骨岳、17:33黒斑山と第一外輪山を辿る。もう誰も居ない。日没と競争しながら17:54トーミーの頭、中コースを下る途中から薄暗くなり、樹林帯の中で懐中電灯を点ける。下弦の月を眺め、虫の音を聞きながら下る。風流、風流。18:45真っ暗になる前に辛うじて駐車場に戻る。駐車場には他に1台の車もなく、入り口にロープまで張られている。帰路も18号線、高崎市内に入り、藍屋で遅い夕食を摂り、21:40帰宅。長らく念願の浅間山山行も終わればあっけないものである。
浅間山には一年後の2001年9月2日にも、火山館コースから2度めの登頂を果たしました。