楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

八幡岬と官軍塚(勝浦市)

2022年5月8日(日)
今日はハスラーの慣らし運転のため、そして家内にも新車に慣れてもらう為、勝浦市の八幡岬まで長距離ドライブ。9:10出発、一般道の国道16号線国道297号線を走る。途中、ファミマ市原古市場店、道の駅たまゆらの里おおたきで休憩と運転交替、12:50八幡岬公園の駐車場到着。

一帯は1590年廃城となった勝浦城址、岬の遊歩道を進むと、勝浦湾と海中公園、鵜原理想郷の海岸線が望める。

先ずは岬の最高所に鎮座する八幡神社に参拝。

急な石段脇の立ち枯れに2箇所、ヌメリツバタケが出ている。又、トベラの木が矢鱈に多く、今は花盛り。

ウグイスの鳴き声は頻々、タブノキの若葉はまるで花と見間違えるほど紅い。

岬先端に建つ於萬の方(1577-1653年)銅像を見物、於萬の方は勝浦城主正木頼忠の娘、徳川家康の側室で、水戸光圀の祖母である。

また、展望台から断崖(ひらめきヶ丘)上に建つ勝浦灯台と、太平洋の雄大な眺めを楽しむ。

一旦駐車場に戻り、隧道をくぐって、断崖上の車道を灯台方面へ。道端にはノイバラやトキワツユクサの白花が咲く。

途中、八幡岬の全景が望めるView Pointがある。

14:00勝浦灯台大正6年初点灯)。門は施錠してあり構内に入ることはできないが、門扉に下がるプラケースに入ったQRコードスマホで読み込むと、灯台展望所からの海上や付近の景色を見ることができる。

灯台を後に官軍塚を訪ねる途中、左側に「日本海駆逐艦沖風殉難平和観音像慰霊碑建立の丘入口」の看板を見る。65段の急な石段を上ってみると、丘上にこじんまりした勝浦平和観音像が立っている。

太平洋戦争中の1943年1月9日、駆逐艦沖風は米軍潜水艦の魚雷攻撃により勝浦沖で沈没、その生き残りの方が1977年に私費で建立したもの、以来命日の1月10日に毎年、僧を招き観音像の前で亡くなった乗員の慰霊祭が行われているらしい。14:20官軍塚。明治二年(1869年)1月3日夜、函館鎮圧へ向かう官軍の熊本藩士が乗る米国汽船が、勝浦川津沖で暴風雨に遭い難破、その時の200余名の犠牲者を慰霊する碑は、川津港背後の丘の上に建つ。

碑の周りは園地として整備され、展望台、四阿があり、斎藤茂吉の歌碑が建つ。
官軍塚でUターン、帰りは浜勝浦の集落を抜けて、植村記念公園に立ち寄り勝浦湾と勝浦漁港を眺める。公園には与謝野晶子の詩碑「おお美しい勝浦、・・以下略」が建ち、その近くに四等三角点(名称:勝浦、標高39.5m)が置かれている。


15:25車に戻る。約10,000歩、5.2km、2時間半の散策、良いコースでした。

帰りも一般道を走って、道の駅たまゆらの里おおたき、ファミマ市原八幡浦店で休憩と運転交替、19:00無事帰宅。走行距離は210kmでした。