楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

読売新聞・編集手帳

2021年7月2日(金)
読売新聞朝刊1面のコラムは「編集手帳」、毎日460文字の記事を執筆せねばならない担当者は、全国数百万人の読者(販売部数は800万)の眼に晒されるだけに、さぞネタ探しと文章化、推敲が大変であろう。私的なブログを毎日書くのとは訳が違う。
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その6月28日の編集手帳に、仏教徒が9割を占めるミャンマー人の、日本に来る旅行客の人気訪問地は神奈川県の鎌倉で、特に鎌倉大仏にお参りするのが大人気、京都でも奈良の社寺・仏閣でもないのが不思議で謎である、と書いてある。そんなこと、ミャンマー人に聞いてみれば直ぐに分かるのでは?。ここから先は私の推察。
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2011年2月、ミャンマーの最大都市ヤンゴンの近郊にある古都バゴーの有名寺院、ミャンマー三大パゴタの一つ、シュエモード・パゴタを拝観した際、立派な鎌倉大仏の写しが祭壇中央に恭しく祀られているのを認めました。寄進したのは日本人の鈴木氏一族、奉納は1996年5月29日、
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ミャンマー人の参詣者がとても多い寺院なので、それ以来馴染みの仏像となり、日本に行ったら本家本元の鎌倉大仏にお参りしようと云うのでは?。ミャンマー人は親日家が多く、鈴木さんがどのような人物か存じ上げないが、或いはミャンマーに大貢献した人か?。以上、小生の愚考であります。
追記)ブログを読んだ娘からの指摘によると、日本の陸軍軍人で、1941年~42年にビルマ独立運動の支援を任務として現地で活躍、「日本版アラビアのロレンス」と称される鈴木敬司少将(1897-1967)がいるとのこと、鎌倉大仏写しの寄進者5人の名前に、鈴木敬司は見当たらないが、夫人の節子と思われる「Mrs.Setsuko Suzuki」があるので、鈴木敬司氏の家族の寄進であろう。なるほど納得です。