楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

佐瀬稔著「ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜」

2022年11月21日(月)

山田昇(1950年-1989年)は群馬県沼田市出身のヒマラヤ登山家、世界の8000m峰14座のうち9 座に12回登頂(エベレストに3回)。5大陸最高峰冬季完登を目指し、1989年2月マッキンリー(現デナリ)登山中に遭難死。

8000m峰14座完登者は2021年現在44人(うち全山無酸素登頂者は19人)、日本人では唯一、竹内洋岳が2012年に達成し29人目に名を連ねたが、韓国人は7人も完登者が居る。今では余り話題に上る事もないが、1989年当時は14座完登者はイタリアのラインホルト・メスナー(1986年10月達成)と、ポーランドのイェジ・ククチカ(1987年10月達成)の2人だけ、それに続くのが9座登頂済みの山田昇で、第三の男と目されており、群馬県の英雄。

私が群馬県高崎市の事業所に勤務していた2001年、沼田高等学校の山田昇の一年後輩で、同じ山岳部だったという音楽家のいしざかびんが氏が、群馬K会の会長さんに連れられて来場し、山歩きの話で盛り上がり暫し談笑した事があります。その後の2003年?、同氏が山田昇15年祭に寄せて出したCD「美しき恋人たちのメロディー」を購入し、ギター弾き語りの素朴な山の歌を、今でも時々聴いています。その中の「山岳昇歌」は山田昇を偲ぶ、山田昇に捧げる歌です。