楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

阿部幹雄著「生と死のミニャ・コンガ」

2022年1月8日(土)
阿部幹雄著「生と死のミニャ・コンガ」読了。6日の雪で日陰の道路は未だツルツル、何処にも出かけられず読書が進みます。最近のブログが読書日記のようになってます。😅
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1981年5月10日、北海道山岳連盟ミニャ・コンガ登山隊の第一次アタック隊12名が山頂直下まで迫るも、うち8名が滑落して大量遭難を引き起こす。アタック隊生き残りの著者によるその顛末記。初版が2000年9月なので、事故から19年が経っている。氷河末端で1名の遺体を収容、現地で荼毘に付し薬王廟に埋葬し慰霊碑を建立したのが1996年、一応のけじめをつけて4年後の出版である。
2007年6月、雲南省徳欽に梅里雪山(主峰カワクボ、標高6740m)を眺めに行ったが、梅里雪山でも1991年1月4日、日中合同登山隊17名(日本側京都大学学士隊11名、中国側6名)が雪崩により全滅している。
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1991年5月に梅里雪山を望む徳欽の飛来寺に建立された慰霊碑は、その後の日中関係の悪化から、日本側隊員名は傷つけられて読めなくなっており、悲しくなったことを覚えています。
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梅里雪山は現地のチベット族の人々が神と崇める山々、2000年に正式に登山禁止になり、今も未踏峰のまま残されています。未踏峰、バリエーションルート、世界初、冬季初、単独、無酸素、etc.、人間の限界に挑むのは素晴らしいのかもしれませんが、一旦遭難事故を起こせば、関係者はもとより世間に大きな迷惑をかける、登山家とは因果な商売?です。