楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

父不見山(群馬県神流町)

2022年1月18日(火)
「父不見(ててみえず)御荷鉾(みかぼ)も見えず神流川、星ばかりなる万場の泊まり」は、詩人で随筆家の尾崎喜八の「神流川紀行」に見える一首、この歌に惹かれて父不見山(地元の呼称はててめえじやま、標高1047m)には2回登りました。以下はその山行記2編。

1997年1月25日(土)
昨夜は万場町の山楽荘で懇親会、メンバーは山宮、内海、坂田、笠原、佐野、渋岡、石田、北林の8氏、今日は山へ行く約束である。今でも山里の風情は尾崎喜八の詠んだ歌のまま。7:30起床、卵納豆とニラの味噌汁で朝飯をたっぷり食べる。8:30勘定を済ませて出発、3日前の降雪が残っており、皆怖じけづいて結局山へ行くのは自分一人となる。何とも薄情なメンバーであるがやむを得ない。石田さんの車で送ってもらい、生利の万世橋畔で降りたのが8:50。北面を登るので積雪は気になるが天気は良い。万場高校&生利バス停の所で神流川を右岸に渡る。西上州の民家の佇まいはどことなく懐かしい。土坂トンネルを経て秩父吉田町へ通じる道は、路面が凍結してつるつる。9:40林道沢口線入り口、雪道を踏みしめて進む。青竹の一群が枯れた景色の中で鮮やか。10:00林道が交差する場所に「父不見山」の道標を見る。10:30再び道標、長い林道歩きに飽きる頃、行く手に東西御荷鉾山、オドケ山、赤久縄山などの稜線が見えてくる。空高く鷹が舞う。キツネなのか動物の足跡が点々と続いている。11:00林道が下り始めたので迷ったかと思い引き返す(そのまま100mも進むと杉の峠への登山口であったが)。一人の登山者と出会い、二人で伐採地の雪の斜面を遮二無二尾根へ突き上げる。漸く稜線に辿り着き、左のピークに登ってみると、嬉や其処が父不見山の山頂である。松とリョウブが生えている小広い頂に「三角天」と彫られた石碑が置いてある。時刻はジャスト12:00、両神山武甲山が見える。同行の人は群馬町の高木氏、山頂で熱いコーヒーとお握りをご馳走になる。12:45風がゴーゴー唸り始めたので下山開始。13:05杉の峠、祠と燈籠があり巨杉が2本聳えている。14:05林道交差点、そこに高木さんの車が停めてあり高崎まで乗せてもらえることに。途中、藤岡の多野総合病院近くの喫茶店「楓」に立ち寄り休憩、お店のマスターは高木さんのラグビー仲間らしい。16:00倉賀野の旧国道で降ろしてもらい、16:30社宅着。後片付けと洗濯をしてから、夜柏に帰る。(後日、高木さんに御礼の登山靴下を贈る)

2002年2月16日(土)
6:00起床。前橋の最低気温マイナス3℃、全国的に冷え込む。朝シャンとシャワーで目を覚まし、医薬工場駐車場へ。8:00に集合したのは、天野、町田、菅谷、橋本、関口氏の5名。生利大橋から土坂峠に登る途中、道標に従い右の林道に入る。9:35幅の広い部分に駐車、歩き始める。林道沢口線との出合いから左、杉の峠へ向かう。20cmほどの積雪の中を登って、10:53杉の峠に着く。一帯は3年前の山火事で埼玉県側の杉の植林地が焼失し、その後皆伐されて一面禿げ山となっており、石祠脇の杉の巨木まで焼け落ちている。なんたることぞ。11:30父不見山山頂(1048m)着、二度目の頂きでカップラーメンとコーヒーの大休止、コンロとコッヘル、水を背負ってきてくれた関口さんと橋本さんに感謝。
12:15出発、一旦下って登り返し、12:36二等三角点がある長久保山(標高1066m)。そこから真っ直ぐ行けば寺平・摩利支天であるが、右の坂丸峠へと進む。積雪の尾根歩き、丸山を越え石祠(山の神)のある坂丸峠に着いたのは13:20。左は小鹿野町森戸、右は万場町小平に下る。右へ下り20~30cmの深雪をラッセル、13:50林道出合いの登山口にでる。真新しい大きな案内板が建ち、地味な山の筈が何時のまにか人気の山?。神流川橋を渡り小平の集落を抜け、道の駅万葉の里で一服、14:56のバスで万場へ出て、生利大橋から土坂峠へと上り返す。16:25漸く車に戻る。