楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

675. 奥松島・宮戸島散歩(東松島市)

2023年11月19日(日)

仙台は山と海が近く、帰省すると、アウトドア派の私としては、部屋にじっとしていることはできません。今日は仙台の山仲間をハイキングに誘ったのですが、あいにく皆さん都合が悪いとのこと、それではとボッチのハイキング。行き先は予定通り奥松島の宮戸島、熊が居ないので最近お気に入りの場所です。

9:15マンションを出発、途中、多賀城の妹家族の家に寄り、お土産の紅はるかを3kg届けました。玄関先で渡して直ぐ出発、10:45大高森登山口の、あおみな第2駐車場に車を停めます。

久しぶりに登山靴を履いてスタート、11:20大高森山頂(二等三角点、標高105m)。奥松島に来て此処は外せません。

蔵王連山こそスッキリとは見えないけれど、風が無く穏やかな天気、四大観の一つ「壮観」を眺めてから直ぐ下山、今日は休日なので宮城オルレ奥松島コースを歩くグループもあり、珍しく賑わっています。

山頂直下で左に分かれる嵯峨見台への道に入り、山道、林道をとんとんと下り車道に出ます。

下りきった凹地の田畑に働く人の姿はなく、稲刈りも大豆の取り入れも終わった様子、集落を静寂が支配しています。

嵯峨見台入り口を過ぎ、潜ヶ浦(かつぎがうら)漁港を左下に見て前進、真っ暗な素掘りトンネルをくぐり抜けます。

すると、漁港らしい護岸がある入り江の奥に出ますが、其処が第146震洋隊基地跡とされる所。

太平洋戦争末期に本土決戦に備えた特攻隊基地が、此処宮戸島にあったとは、、今は昔の物語。基地の後は旧鮫浦漁港として利用されたようですが、今は漁船は1隻も繋がれていません。岸から2本の鋼鉄製レール(スリップウェイ)が海中に延びています。

船を上げ下ろしする設備ですが、80年前の震洋に使われたものか、その後の漁船用に使われたものかは分かりません。又、素掘りトンネルから此処までの右側崖に、洞窟が何ヵ所もありますが、特攻艇震洋を隠す艇庫だったのかも、今は漁具が打ち捨てられ、散乱しているばかり。

マニアでなければ、其処までやって来る物好きな人はまず居ないでしょう。

引き返して嵯峨見台への道を上り、中腹の岩窟に建つ潜ヶ浦聖観音堂にお参り。

と、あれれ、床に鈴が落ちている。4月にお参りした時は無事だったのに。堂前で般若心経を唱え、鐘楼の鐘を3回撞いて、両親と弟の菩提を弔いました。12:40嵯峨見台(標高72m)、大休止。栗原市から来たと言う山好きのご夫婦が追い付いて来る。干し芋とミカンを食べ一服、暫し山談義。

嵯峨見台を後に室浜に下る途中、左の小道に入り岬の先端まで詰めてみました。きちんと刈り払いがなされており遊歩道?、枯れた松も伐採されて、丸太がきちんと積みあげられています。一体誰が何のために維持管理しているの?。岬への道は先端部で双手に別れますが、両方とも詰めてみました。

先端からは船越島が目の前に望め、岬の断崖を太平洋の波が豪快に洗っています。これは一見の価値あり、来た甲斐があったというものです。

往路を慎重に引き返し、室浜へ降りる遊歩道に戻り、13:45室浜沖堤に下り着きました。釣り人がちらほら、メバルアイナメが釣れるそう。沖堤から延びるテトラポッドと仁王島のような小島の景色もなかなか。

室浜漁港に下りて車道をてくてく、今日は疲れたので、東北自然歩道も乙女ヶ浜もカットします。14:20宮戸郵便局、14:45無事車に戻りました。約4時間のウォーキング、15800歩、9.8km。

帰り道、熱いコーヒーが飲みたくて、松島町の古民家カフェ「風まかせ」に寄ってみると又も準備中、よほど縁がないとみえます。16:10帰宅、走行距離81km。