楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

671. 奥松島周回(東松島市)

2023年4月4日(火)歩程7時間、34200歩、21.5km

今日は奥松島・宮戸島を駅からハイキング、6:15起床。仙台は山も海も近く、誠に恵まれたロケーション、住み易い街日本一では?。

榴ヶ岡駅から7:35の石巻行き仙石線に乗り、8:30東名駅下車。

駅舎は東日本大震災で被災し山側の高台に移転、新しい。

昔は潮干狩りの名所だった東名地区は様変わり、新しい家も建つが、被災したままの家屋も残り、空き地も点々、あれから12年。東名運河を東名新橋で渡り、スマホGPS画面を眺めながら、宮戸島に渡る松ケ島橋を目指す。その辺り、建物は野蒜海水浴場の丘上に建つ一時避難場所の防災棟2棟しかなく、茫漠たる空間が広がる。人が居ない、車も通らない。

ふるさと野蒜生き物調査(野蒜塾)実施中の沼沢地を過ぎて、新しく整備された堤防に上がる。

9:45松ケ島橋、此処は早逝した弟と釣りをした最後の地、宮戸島に入る。青鷺や白鷺が遊ぶ湿地を右に眺め、四阿を過ぎて、10:10大高森登山口に着く。大高森観光ホテル前の入り江は曾てハゼ釣りの好ポイント、今や奥松島観光遊覧船乗り場に変わり、容赦なく時は流れる。春休みというのに、あおみな(宮戸地区復興再生施設)も閑散、観光客は殆ど居ない。震災復興事業もあらかた終了し、潮が引くように工事関係者が去り、陽光ばかりが燦々、まるで白昼夢。

宮戸島の西半分を周回する宮城オルレ・奥松島コースは何回か歩いたので、今日は東側半分を気ままに歩く事に。ここまで来て大高森は外せないので、先ずは頂きへ。10:30山頂(標高105m)、もう10回目位?、松島湾の向こうに雪を被った船形連峰が望め、松島四大観のひとつ「壮観」は、何時見ても絶景。

二等三角点に触れてから下山、嵯峨見台へ向かう。林道を下り車道に出ると、土手にフキノトウが点々、誰も採らない。イチリンソウカタクリ、キブシの花が咲く。

畑仕事の人に道を尋ね、潜ケ浦(かつぎがうら)観音堂入り口の鳥居をくぐり、階段を上る。大岩窟に覆われて観音堂が建ち、聖観音像が祀られている。

御堂は震災後に再建されたものか新しい。お参りしてから、傍らに建つ鐘楼の鐘を3回つき、両親と弟の菩提を弔う。鐘楼の後へ続く遊歩道を上り、11:25嵯峨見台(標高72m)に出る。

四阿で小休止、静かで小鳥のさえずりと波の音しか聞こえない。下は日本三大渓のひとつ、天下の景勝の嵯峨渓(他の二つは、猊鼻渓耶馬溪の由)、船越島、花魁島、高島、黒島などの島々を眺め、矢本や石巻の海岸線、牡鹿半島の山並みも望む。素晴らしい。

12:05室浜漁港に下り着く。堤防釣りに興じる太公望の姿がちらほら。案内に従い、儀兵衛・多十郎オロシヤ漂流記念碑が建つ丘に上がる。

寛政五年(1793年)11月27日に仙台藩の藩米と材木を積み、江戸へ向け石巻港を出航した若宮丸は、塩屋岬沖で暴風雨に遭い漂流、アリューシャン列島のオンデレッケ島に漂着、その後、生き残りの乗組員はサンクトペテルブルクに至り、西周りの大航海で大西洋、太平洋を横断、文化元年(1804年)9月6日に11年振りに長崎に帰還。日本人最初の世界周航者となった地元出身二人の顕彰碑。井上靖作「おろしや国酔夢譚」の大黒屋光太夫に勝るとも劣らない事績である。丘上からは室浜漁港と萱野崎の眺めが良い。

クリームパンを食べてから、ツバキのトンネル、竹林の小道を辿って室浜に下り、乙女ケ浜2.4kmの道標に従い神社の先から右の細いコンクリート道に進む。12:45大浜分岐点、道標は皆新しく良く整備されている。意外にアップダウンは激しいが、海側(左側)は嵯峨渓の島々を見下ろし、ずうっと良い景色が続く。

13:00仙台藩の大浜唐船番屋跡に着く。

その先も下ったり上ったり。13:15林道脇に四等三角点(大浜、標高49m)を発見。奥松島の奥の奥、三角点マニアには垂涎の的であろう。

更に先へ進む。最後は大下りして、13:25奥松島最奥のビーチ、乙女ケ浜に到着。誰も居ない。独り占め、まるでプライベートビーチ、オーパ、素晴らしい。東名駅からそこまで12.3km、21000歩、5時間、遠いね。

さあ、大返し、最短距離で野蒜駅を目指す。

途中、東松島市指定文化財、樹齢700年の「むろの木(イブキビャクシン)」を眺め、13:50大浜漁港に出る。大浜田湿地を抜け、後は車道をてくてく、宮戸郵便局の前を通り、14:35大高森登山口に戻る。15:00松ケ島橋、15:43よろよろになって漸く野蒜駅着。

15:53の仙台行き電車に辛うじて間に合う。約7時間、34200歩、21.5kmの久しぶりのロングウォークは疲れました。17:00帰宅。