楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

679. 浦戸諸島・野々島(塩竈市)

2024年2月20日(火)

昨日は連チャンになるが、老骨に笞打って、浦戸諸島の野々島のハイキングに。仙台の山仲間に声をかけてみたが、突然の事で皆さんNG。

8:15出発、8:24榴岡駅発の仙石線東塩釜行きに乗り、8:50本塩釜駅下車。9:05マリンゲート塩釜に着いて、野々島までの片道乗船券を買う。580円。

9:30出航の塩釜市営汽船しおね号に乗り込み湾内クルージング、旅客定員99名のところ乗客は僅かに12人、ガラガラ。夏の観光シーズンは混むのかも、これでは採算はとれない。

桂島桟橋経由、10:00野々島上陸。まずは西端のごしょぼら貝塚の見学に行ってみるが、作業小屋が建つのみで、それらしき史跡はない。

諦めて、熊野神社にお参りし、鐘撞堂の鐘を3回撞き、両親と弟の菩提を弔う。

その先、ツバキの枝がトンネル状になった古道を進むと、道端に野仏や山の神が祀られている。

古道をツバキの小道に左折、実際は竹林の道。

10:55学校浜という小さなビーチに出る。

誰も居ないが、シーカヤックが多数陸揚げされている。

夏には賑わうのかもしれないが、ウッドデッキ付き建物は倒壊し、荒れている。

学校浜の右側を上に登り、ベンチで一服、カモメ島を眺めながら、

生茶を飲み、東京バージョンの萩の月を食べる。

その先、今は広い平坦な草地のラベンダー畑を抜けて、

車道を進み、11:25浦戸小中学校に着く。浦戸諸島唯一の学校で、現在43名の生徒が学んでいる由、野々島の生徒は1名だけで、42名は島外からの通い。

サッカーコートもプールもあるが、生徒の姿はない。教室で授業中かな。

プール後ろの裏門?から山道へ抜け、薬ヶ崎の先端まで、行ける所まで、詰めてみる。鉄梯子を伝って堤防の上に降りる。船着場?、使われている様子はない。

尾根に戻り、藪のかかる薄い踏み跡を先へ先へ。刈り払いはなされているようだが、枯れた松を伐採するための作業道か、下手な山歩きよりハードで面白い。12:00とうとう藪に阻まれ進めなくなる。その付近、左側は野々島Ⅱ農地海岸堤防であるが、農地は既に湿地に変わり、草ぼうぼうの荒れ地、

右側に薬ヶ崎貝塚史跡がある筈と野茨藪に入ってみるが、海岸には辿りつけず傷だらけ。辛うじて「薬ヶ崎貝塚平安時代土師器出土」木標を見つける。

12:40浦戸小中学校に戻る。12:45学校下船場、風は強いが島陰なので、寒風沢島へ渡してくれるとのこと、船頭さんが小屋で待機している。

観光客も乗せてくれるが、基本は学校に通う生徒の為の無料渡船なのであろう。今回はパス。

13:00風の丘。ベンチに座って生茶と自家製干し芋で腹ごしらえ。干潮なのか、眼下に見える宇内(うね)浜と焼島が地続きになっている。

せっかくなので宇内浜に下りて、焼島に渡ってみる。

ズボンの裾がちょっと濡れたが、何とか成功。

13:25夜泣き地蔵と六地蔵、島の墓地の入り口に祀られている。

墓地は奥へ行くほど、倒壊した墓石が放置されており、東日本大震災の爪痕は、隠れた場所に生々しい。

柳浜の堤防上を歩き、千代崎先端へ向かう。

先ほどの薬ヶ崎の薄い踏み痕とは異なり、千代崎へは遊歩道がきちんと整備されており、最先端の景色は素晴らしい。

引き返して、最後に、千手観音堂に立ち寄り、今日無事の御礼参りをしてから、14:15野々島桟橋に到着、14:23の塩釜に帰る船を待つ。4時間15分、17500歩。連チャンで、へとへとになりました。😆

しおじ号に乗って、15:00塩釜港着、16:00帰宅。