2023年2月14日(火)
畑の落ち葉堆肥場に、プランターに入れる腐葉土を取りに往き、黒土の部分を掘り起こしたら、大きなカブトムシの幼虫が出てきました。
まだ落ち葉の布団を被って越冬中、悪い、悪い、お邪魔しました。そっと土と落ち葉を被せ、カラスやモグラに食べられるなよ、と声をかけておきました。😅
2023年2月13日(月)
このところの暖かさで、庭のふきのとうが膨らんできました。
少なくとも5個はありそうです。
ちょっと可哀想ですが、蕾のうちに摘みとって、ふきのとう味噌を作る積もりです。😅
2023年2月12日(日)
昨日は午後から手賀の丘公園へ電動自転車で遠征、雨後のエノキタケ採りに行ったものの、見事に空振り三振。
片道15km近く走って、手ぶらで帰るのも勿体ないので、少し先にある柏市指定史跡&千葉県指定文化財の「旧手賀教会堂」の見学へ。
旧手賀教会堂は、明治14年(1881年)に近隣の茅葺き屋根の民家を移築・転用して建てられたハリストス正教会の御堂、転用教会堂としては日本で唯一、又首都圏で現存する教会堂としては最古のもの。
外観は、十字桟が入った2箇所の窓を覗けば古民家(昔の農家)風ですが、中に入ると座敷の奥正面にイコンが飾られ、更に奥は至聖所(聖堂)になっています。
3点のイコン、「主全能者」「至聖生神女」「機密の晩餐」はレプリカですが、日本初の女性イコン画家の山下りん(1857年-1937年、茨城県笠間市出身)の作品、本物は新教会堂に移され保管されている由。
見学は無料、以前は土日だけの開館で事前申込み制だったものが、令和2年(2020年)に保存修理工事が行われ、現在は月曜日と年末年始(12月28日~1月4日)を除き通年開館(10時~16時)、ガイドの方も居るし、便利になりました。パンフレットと、宣教師ニコライの「沼南布教日記」も頂きました。
最後に600mほど先にある新教会堂へも行ってみましたが、毎月第3土曜日の10:00~11:30のみの開堂、東京教区から司祭がやって来て月に一度だけ祈祷会があるらしく、今日は閉まっていました。昭和49年(1974年)建立の質素で小さな教会堂は、丘の上にひっそり佇んでおりました。
2023年2月11日(土)
色川武大(1929年-1989年)著の第40回読売文学賞受賞(1988年)作品「狂人日記」読了。
幻聴・幻覚が絶え間なく現れる閉ざされた世界で、じりじりと自分を追い詰め、また、健常者の世間から追い詰められていく、精神を病む五十男の主人公、半ば自叙伝、半ば創作か、閉塞感半端ない、やりきれない物語。色川武大は、阿佐田哲也名の麻雀小説作家としても有名であるが、永年ナルコレプシー(眠り病、過眠症)に悩まされ、最晩年は一関市に転居、移住後間もなく心筋梗塞を発症し、宮城県栗原郡瀬峰町の県立瀬峰病院(後の栗原市の県立循環器病・呼吸器病センター、現在は閉鎖)にて死去。才人であったが無頼派で、破天荒な人生を送り、忽然と逝く。
2023年2月10日(金)
昨日は午後から、つくばエクスプレス流山おおたかの森駅を目的地とする周回ウォーキングに出ました。近所の城址公園をぐるぐる回るバーチャル山歩きはつまらないので。
12:30出発、国道6号線を北上し、旧日光街道入口で左折し、後は真っ直ぐ。14:00おおたかの森SC到着、
1階にあるスタバに入り休憩、コーヒーブレーク。
帰りは、市野谷水鳥の池、ふるまぎ水鳥の池(古間木調整池)を眺め、芝崎に出て、強い北風に悩まされつつ坂川の土手を歩き、上富士川が流れ込む合流点からは、
上富士川の土手を歩いて、前ヶ崎、根木内城址公園を抜けて16:05帰宅。
スタバ休憩を含め3時間半、約14km、約20,000歩のウォーキングでした。😆
2023年2月5日(日)
第二回目のバーチャル山歩きは昨日の午後、自宅から4km離れた増尾城址公園で行いました。
増尾城址公園の一角には、自然豊かな約五百年前の中世城郭の遺構があり、小金城(松戸市)の支城と推測されています。
東側のビオトープが設けられた新公園の一角には、渇れることがない「増尾湧水」(今は残念ながら飲用不適)がコンコンと湧き出しています。
又、公園東側に隣接して、地域一番の進学校、芝浦工業大学柏中学高等学校があります。
そして、東側の外周道路を往くと、増尾弁天堂が建ち、その傍らに大きな弁天様も祀られています。近くには妙見堂跡もあります。地区の人々の信仰心は篤いようです。
西側の外周道路にも名戸ケ谷香取神社がありました。増尾城址公園は私のきのこ観察のメインフィールドですが、昨日はエノキタケの幼菌のみ。
旧公園(城址~バーベキュー広場)~新公園~外周道路をぐるぐる、2時間半、8.4km、13,500歩、累計高度250mのウォーキングでした。
2023年2月4日(土)
厳寒期は、アウトドア記事が主体の当ブログも種切れ状態、最近は単なる読書ノート、「本と酒の日々」であります。
二見書房の山岳名著シリーズ、昭和44年(1969年)初版の深田久弥著「雪白き山」読了。「百の頂に百の喜びあり」は深田久弥の名言であり、著書「日本百名山」は読売文学賞を受賞した代表作で、山好きな人なら一度は読んだことがある筈。
本書は、戦前戦後の著者の山に関する短編・随筆を集めたもの、「山を見る」の項では、深田久弥と北畠八穂夫妻が昭和4年(1929年)夏から翌年春まで我孫子市天神山の三樹荘に住んでいた事を知る。
山荘の持主、柳宗悦と親しかったという事か?。又、「アララット登山」という見出しもあり、ノアの方舟伝説で有名な、トルコ東北端のアルメニアとイランの国境近くに聳えるアララット山(5,137m)へ、わざわざ日本から登りに出かけたことが分かる。
写真は、2015年10月6日、アルメニアのホルヴィラップ修道院近くの葡萄畠から眺めた大アララット山(右)と小アララット山(左、3,896m)、富士山が2つ並んでいるような景色でした。
2023年2月1日(水)
岡田喜秋著「日本の秘境」読了。昭和35年(1960年)、東京創元社発行のぼろぼろの本は、市立図書館にはなく、やむなく県立西部図書館から借りたもの。
岡田喜秋(1926年~)は、1947年日本交通公社に入社、同社が発行する月刊誌「旅」の編集記者、編集長(1959-1971年)を務めて、紀行文の名手と謳われる。本書に取り上げられた15箇所の秘境のうち、私が未訪問の場所は、苗場山の赤湯温泉、五家荘と椎葉村、四国東海岸と室戸岬、隠岐島、白山山麓中宮温泉、愛媛県佐田岬の6箇所。
行った事がある場所は、木曽御嶽山と開田高原、尾岱沼と野付半島、酸ヶ湯温泉(2011年8月7日)、
夏油温泉(2013年5月20日)、襟裳岬、足摺岬、青森県十二湖(2013年10月31日)、
川湯温泉と屈斜路湖、蔵王山中腹の長老湖の9箇所。これらの中で、「夏油という湯治場へ」の項に、
何とキリンビールの関係者が登場する。岡田喜秋が訪れた当時(昭和30年頃?)の夏油温泉の番頭の、高橋清四郎氏は、元キリンビール横浜工場の職長(係長)だった由、また工場長の原田さんの名前も出てくる。横浜工場百年史(?)にでも当たれば判るかも、いずれそのうち調べてみよう。
2023年1月28日(土)
14世ダライ・ラマ著、木村肥佐生訳、「チベットわが祖国」読了。初めは、柏市立図書館から借りて読み始めたものの(写真上)、手元に置いて、じっくり読むために、アマゾンで購入し(写真下)、蔵書に加えました。😊
1962年に、ダライ・ラマ14世(1935年~)によって書かれた自叙伝の、チベット研究家にして亜細亜大学アジア研究所教授の木村肥佐生(きむらひさお)氏による訳出全文、1985年出版。
1949年の中国による東チベットへの武力侵略に始まり、1959年のチベット民衆による全国的反乱(チベット動乱、チベット蜂起)と中国の弾圧、同年3月17日の14世ダライ・ラマの拉薩(ラサ)脱出とインドへの亡命までが、生々しく記述されている。
その後、インド西北部のダラムサラに亡命政府を樹立し、強大な共産中国と対峙すること60年余、その間の1989年、非暴力による祖国解放運動が評価されノーベル平和賞受賞。精力的に世界各地に平和希求の行脚を続け、まるで釈尊の化身のような14世ダライ・ラマ猊下も今年は早88歳の高齢、習近平(今年70歳)よりも長生きしてほしいけれど、存命中に悲願のチベット独立を果たせるかどうか、残された時間は少ない。
チベットに続くウィグル族への弾圧、香港民主派と台湾への弾圧、一帯一路に名を借りた債務の罠による発展途上国支配等、近年の中国の剥き出しの野望は露骨で果てしなく、果たしてこの先どうなるか。50年後、100年後には人口2大大国の中国とインドが、世界の超大国となり、嘗ての米国・ソ連のような覇権争いを演じているかも知れぬ。地球はますます息苦しくなる。
2023年1月27日(金)
「こんなものまで食べますか」シリーズ第3弾は乾燥ゼンマイ、食品保存庫の奥の奥から出てきました。日付が書いていないので分かりませんが、5年前?、下手したら10年前の代物です。😅
賞味期限を気にするような神経質な人は絶対食べないと思いますが、遠出して採集する苦労、茹でて、揉みほぐしながら、天日乾燥する手間隙、国産ゼンマイの希少価値まで考えると、古い人間の私は棄てられません。
微温湯に浸けること3日間、時間をかけて戻しました。渋る我が家の料理長に頼み込み、油揚げ、糸こん、大豆と一緒に煮物を作ってもらいます。
いよいよ試食、家内に言わせると、「木の枝でも食べてるみたい!」。まぁ、そこまでではありませんが、確かに「しなこく」(仙台弁:筋ばっていて硬いこと)、繊維質100%、整腸効果はありそうです。😅