2022年6月4日(土)
昨夕、猛烈な雷雨、降雹がなく幸い、精米所に米ぬかを貰いに行った序でに畑に寄ると、今季初めてキュウリが2本採れました。😊
紫陽花屋敷?
2020年6月3日(金)
我が家の庭では今、三つ葉やユキノシタの花盛りですが、山菜以外の花も咲きます。紫陽花です。10種類前後のアジサイの花が咲いています。
元は、家内の友人宅から切り枝をいただき、挿し木で根付かせたもの、アジサイは発根性が高く、7、8割は定着します。😊
家内の友人、着物着付けサークルのお師匠さん宅は、敷地1000坪以上もある大地主、屋敷内に色々な種類の紫陽花が咲き競い、正に紫陽花屋敷、オープンガーデンも出来そうです。
片や、我が家の庭は猫の額、隣家との境界にずらりと紫陽花を植えてしまい、目隠しにはなりますが、歩くスペースもなくなるほど、どうするのこれ?、どうなるのこれから?、状態であります。😅
山折哲雄著「生老病死」
2022年6月1日(水)
山折哲雄著「生老病死」読了。元は朝日新聞の土曜日「be」面に毎週掲載された同名のエッセイを単行本にしたもの。朝日を購読していないので知りませんでした。
山折哲雄は1931年生まれの91歳、自らも宗教研究者と名乗っているようですが、哲学者でもなし、民俗学者や文化人類学者でもなし、分かりにくい職業ではあります。宗教評論家?。千葉菌類談話会が毎年総会と観察会を開く佐倉城址公園にある国立歴史民俗博物館の教授に就任(1982年-1988年)していたこともあり、又、母方の花巻の実家が宮沢賢治の家の直ぐ近くだったり、学部は違うものの仙台の大学の大先輩でもあるしで、親しみは持てるものの、内容は今一。タイトルの意味するところは、「人は生まれ、働き、歳を重ねて老いる、やがて病み疲れて、衰えて死ぬ」と云う当たり前のこと。人間だけではなく、生命体は全て、「生まれ、生き(栄養分を取り込み)、やがて死ぬ」。只それだけの事ですが、、個々人のレベルに落としこんで、ああでもない、こうでもないと考えると限りなくややこしくなります。ケセラセラです、人生は。
中に、西安の大慈恩寺境内に建つ大雁塔を訪ね、玄奘三蔵を偲ぶ件(くだり)があります。2005年1月、私も家内と一緒に最上階まで上りましたので、
そこの箇所だけ懐かしく読みました。
家庭菜園(22-19)男爵イモ
2022年5月30日(月)
午前、家内も動員してジャガイモの初掘り、今日はまず男爵イモ。一畝だけなのであっという間に完了しました。😊
収穫量は9.0kg、種イモが1kgなので9倍返し、小芋が多く今一です。🤔
春風萬里荘(笠間市)
2022年5月29日(日)
笠間稲荷の参詣を終えて車に戻り、2.5km離れた春風萬里荘へ。14:30専用駐車場(無料)到着。春風萬里荘は、元は神奈川県厚木市近郊の大庄屋伊東家の母屋であったものを、昭和の初めに北大路魯山人(1883-1959)が北鎌倉山崎の地に開いた星岡窯の母屋として移築したもの、江戸時代中期の茅葺き入母屋造りの堂々たる民家である。1965年(昭和40年)、笠間市に「芸術の村」を開村するにあたり、その中核施設として北鎌倉から移築したもの。
まずは母屋の見学、土間から座敷に上がり、仏壇のある座敷で、仏壇や火鉢、草野心平の書「春風萬里」を、
続きの床の間のある座敷では、螺鈿細工の古い箪笥や、御所人形(弁慶・富樫・義経の3体、今時気が利くね!)、北村西望作の「親鸞聖人像」、「孔子の像」などを拝見する。
次ぎは茶室の「夢境庵」、魯山人が裏千家の名茶室「又隠(ゆういん)」を手本に自ら設計したもので、床柱は黒柿、長押は南天の樹、凝りに凝っている。
茶室の外は龍安寺の石庭を模した庭、
長州風呂が据えられている風呂場(周囲の陶板タイルは魯山人自作)、
土間の隣の、馬屋を改造したと云う洋間には、手斧削りの棚板と象の首の棚受け、
その上に並ぶ陶芸品、
手斧削りの椅子、
自然石を組み上げた暖炉、
など魯山人の自作や設計品がてんこ盛り、魯山人ファンには堪らない。陶磁器や骨董品好きの家内は熱心に見学している。外へ出て庭園も一巡り、豪農の長屋門
下川昭宣作「響創の森」、
など見て15:30退出。帰路も同じ道を走り、18:10無事帰宅。本日の走行距離160km。
笠間稲荷神社(笠間市)
2022年5月29日(日)
せっかく傍まで来たのだからと、笠間稲荷に二度めの参拝。大鳥居をくぐり、
楼門をくぐり、
拝殿で家内安全を祈願しました。
ご祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、御神木は胡桃の木、
別称を胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)と云うそうで、納得いたしました。
笠間日動美術館(笠間市)
2022年5月29日(日)
昨日、ハスラーの新車1ヶ月点検が無事終わったので、今日は家内を伴い笠間市までドライブ、昨年4月19日に城里町のワラビ採りの帰路立ち寄った際は休館日で見学出来なかった、北大路魯山人旧居の春風萬里荘を再訪するため。
朝から真夏のようなギラギラした陽射し、天気が良過ぎる。9:30出発、国道6号線と355号線を走り、11:45笠間日動美術館駐車場(無料)到着。分館である春風萬里荘との共通入場券(シニア割引があり、65歳以上は1200円)を購入し、先ずは美術館を見学する。
笠間日動美術館は、銀座にある日動画廊の創業者、長谷川仁・林子夫妻により、長谷川家ゆかりの地である笠間市に1972年に創設されたもの。東京海上日動火災保険と直接の資本関係などはないが、創業当時、日本動産火災保険の社長から銀座にあった本社ビルの一階を画廊スペースに提供してもらって、その恩義を感じた長谷川が日動画廊を名乗るようになった由。
先ずはフランス館に入り、一階の長谷川仁・林子記念室とデッサン室を覗き、二階の常設展示室でフランスゆかりの著名画家の作品を観賞する。洋画には2000年にヤンマー創業者の山岡孫吉コレクションも加わったとのこと、ルノワール、モネ、ドガ、ゴッホ、シャガール、ピカソなど、地方の美術館とは思えぬほど充実している。屋上テラスに上がって、周囲の青い山々を眺め休憩。
フランス館を出て、具象彫刻が19体展示されている野外彫刻庭園を抜けて、
企画展示館に入り、5月21日から7月3日まで開催中の「開館50年記念、パリ・東京・ニューヨーク モダンアートへの軌跡」なる企画展を観覧する。そこではルノワール、モネ、藤田嗣治、高橋由一、アンディ・ウォーホルなどの作品を見る。カフェ・ド・ローヴでアイスコーヒーを飲みながら一服、最後にフランス館向かいのパレット館に入り、長谷川が親交を深めた国内外の画家から譲り受けたと云う340点のパレット画コレクションを拝見、
我が国最古参画廊の店主の面目躍如、世界に例のない貴重なコレクションである。パレット館三階で金山平三・佐竹徳記念室を覗いてから退館、駐車場に車を置いたまま、笠間稲荷神社へお参りに往く。
黒川創著「ウィーン近郊」
2022年5月18日(水)
黒川創著「ウィーン近郊」読了。タイトルに惹かれて読みました。表紙を飾るのは世紀末の画家エゴン・シーレの代表作「死と乙女」。
ウィーンは2010年4月の中欧旅行の最後に滞在中、アイスランドの火山爆発により一週間の延泊を強いられ、色々思い出のある街。作中に出てくるヴォティーフ教会、中央墓地、
国立オペラ座、
ブルク劇場、
ウィーンの森の麓の葡萄畑、
ベルベデーレ宮殿とオーストリア・ギャラリー、
リング通り、トラムなど、全て懐かしく読みました。
作品自体の内容は、ウィーンで四半世紀を暮らす孤独な日本人中年男性が鬱病により自殺、連絡を受けた唯一の肉親である妹が、ウィーンに駆け付け、在オーストリア日本大使館の領事や兄の会社の同僚の支援を受けながら、現地で葬儀を済ませるまでを淡々と描いたものです。何がどう優れているのか分からなかったので、同じ著者の読売文学賞受賞作品「かもめの日」をもう一作読んで見る積もりです。
氷上神社(陸前高田市)
2022年5月17日(火)
氷上山への登山道は3コース、今日上った玉山コース(85分)の他に、氷上神社からの中央コース(155分)、市内普門寺(奥州三十三観音霊場第29番札所、2016年7月24日参詣済み)からのすずらんコース(135分)がある。里宮から山頂へ続く中央コースこそ昔からの奥宮参詣道であろう。15:50市内高田町字西和野83に鎮座する氷上神社到着。
参道右手に、石川啄木の大きな歌碑「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の 間より落つ」(歌集「一握の砂」所収)が建つ。
ネットで調べると、明治33年(1900年)7月、盛岡中学3年の啄木は、冨田先生、級友9人と三陸地方を旅行し、高田松原に来て氷上山にも登っている。昭和32年(1957年)、高田松原に此の歌碑が建立されたが、昭和35年のチリ地震津波により流失、後日見つかり、高田松原には戻さず、此処氷上神社参道に移転した由、なるほど。
拝殿に進み、本日の氷上山無事登拝の御礼を念入りに申し上げる。当社は、延喜式神明帳にも見える、理訓許段(りくこた)神社、衣太手(きぬたて)神社、登奈孝志(となこし)神社の、元は山麓に別々にあった三社を合祀した社、今は山上に祀られる三社奥宮の里宮にあたる。
祭神は、理訓許段神、衣太手神、登奈孝志神の三柱(或いは、天照大神、素戔嗚尊、稲田姫命)。
帰路も陸前高田ICから三陸道に入り、道の駅大谷海岸で休憩、
奥松島鳴瀬ICで三陸道を出て、19:25無事帰宅。本日の走行距離304km。
666. 氷上山(岩手県陸前高田市)
2022年5月17日(火)、単独、歩程4時間(7.7km、15,400歩)
6:45起床、7:45出発。今日は東北百名山の一つ、岩手県陸前高田市にある氷上山(標高874m)に登りに往く。東北百名山は、東北山岳写真家集団による選定であるが、まだ52座しか上っていない。仙台に帰省する都度、登るように努めてはいるが、果たしてあと何座山頂を踏めますか。
登山口のある玉山高原・玉の湯をカーナビ目的地に設定すると150km、遠いね。いつものように奥松島鳴瀬ICから三陸道に乗り、道の駅三滝堂で一服、陸前高田ICで三陸道を出て、11:05漸く玉山コース登山口の玉の湯(標高345m)到着。
熊出没注意の看板はないが、念のため鈴を鳴らしながら行く。山を華やかに彩るタニウツギの咲き始め。
一帯は奥州藤原氏の黄金文化を支えた玉山金山跡、いまだに現役の産金坑があるのか、林道入り口に「日本金鉱山(株)」の看板が立つ。道標に従い右折、谷川に沿う山道に入り、鬱蒼たる杉林を上る。
道端にニリンソウやスダヤクシュ、ネコノメソウが咲いている。
一昨日の半田山とは様変わり、ハイカーは誰も居ない。駐車場に先着車もなく、東北百名山というのに全く人気が無い。路は良く踏まれているが、一途な登りが結構きつい。12:05一本杉(標高570m)、
12:15三合目(標高625m)、12:25五合目(標高680m)、12:35稜線(標高735m)に上がると道はなだらかになり、林間プロムナードに変わる。
12:40七合目(標高760m)もうちょい、12:55氷上神社の奥宮の一つ、西の御殿・理訓許段(りくこた)神社(標高807m)に着く。
そこは山頂部の西峰、一旦下って祈祷ケ原と名付けられた広々と開けた鞍部(標高768m)に出る。
里宮の氷上神社から上がって来る中央コースが祈祷ケ原で合流し、大船渡市が管理する避難小屋、登奈孝志(となこし)荘が建つ。
小屋に入ってみると、10人~15人は泊まれそう、中央に薪ストーブが置かれ、薪や焚き付け、更には鍋や釜まで備え付けてある。外には煮炊き用の竈(かまど)がブロックで組んであり、至れり尽くせり。
これ迄色々な避難小屋を見たり泊まったりしたが最上の部類、素晴らしい。祈祷ケ原は山躑躅の群落で紅く縁取られ、これ又素晴らしい。
山頂めざして北へ緩く上っていくと、13:20中の御殿、登奈孝志神社(標高808m)に着く。オレンジ色に塗られた鉄製の鞘堂は西の御殿と全く同じ、扉が固く閉まっていて社殿は拝めない。
地元の高田市消防団が定期的に塗装奉仕しており、大事にされている。13:30東の御殿、衣太手(きぬたて)神社(標高869m)に着き、
その裏手の小高い処が山頂(二等三角点、氷上山、874m)。
見晴らしは今一、北上山地の山並みも広田湾の眺めも雲やガスに遮られてすっきりしない。長居は無用と直ぐに引き返し、登奈孝志神社近くの大岩に上がると、ガスが切れ、辛うじて広田湾が見える。
13:50祈祷ケ原に戻りランチ、ピーナッツクリームパンを食べ、生茶を飲む。14:05西の御殿、14:40一本杉、林道に下り着き道端でワラビとショウマ類を摘む。結局、山中では誰にも会わず、15:15車に戻る。霊泉玉の湯は休館日なのか玄関が閉まっている。
温泉に入って汗を流したかったが残念!、入り口の自販機でジュースを購入しただけで、里宮の氷川神社へ向かう。