2022年10月16日(日)
昨日の午後、電動自転車で手賀沼の丘陵地帯に出撃、2ヶ所の公園を梯子して、山栗を拾ってきました。1.3kg。
比較的大きな実が生る栗ノ木の方は誰かに拾われた後で、お目こぼしを10粒ほど😪、仕方がないので、もう一ヵ所回り、ドングリのように小さい柴栗を拾いました。😅
2022年10月15日(土)
異例の頑張りを見せていた秋きゅうりも、先日の寒波でダウン、蔓枯れが一気に進みました。
最後の収穫はピクルス用の豆きゅうりが10本、累計の収穫本数は本日分を除き145本、大健闘でした。😄
2022年10月13日(木)
午後、雨の止み間に下田の杜できのこ観察。端境期できのこの姿はめっきり少なく、見つけたのは、アラゲキクラゲ、
コゲチャイヌシメジ(仮称)、
不明種の超小型菌
の6種類のみ。😆
2022年10月12日(水)
著者40歳の時(1986年-87年)のアジア辺境旅行記。第1章が「西域の旅」として、パキスタンのラワルピンディをスタートして、ギルギット、クンジェラブ峠を越えて中国に入りカシュガルから天山南路をトルファン、ウルムチへ。更にホータンやカシュガルへ行ったり戻ったりしてから、敦煌、ゴルムド経由拉薩(ラサ)へ。
第2章が「天上の道」として、第1章の続きのゴルムドから拉薩へ。ラサに長期滞在し、ポタラ宮、ガンデン=ゴンパ等のチベット僧院、鳥葬などを見学、その後、中尼友誼道路で、ギャンツェ、シガツェ、サキャ、ティンリ経由でネパールの首都カトマンズへ出るところで終わる。
タイトルの「風の瞑想ヒマラヤ」に惹かれて読んでみたが、旅の途中から知り合ったオランダ人女性との思わせ振りなやり取りが多く、やや女々しく看板倒れであるけれど、ともかく写真は素晴らしい。ただ文庫本なので写真が小さいのが惜しまれる。本書によると、当時(1980年代後半)の西域には、欧米人や日本人の自分探しの旅人が、相当数うろうろしていた事が分かる。根深誠もその一人、辺境旅行記等を綴るフリーライターでも目指していたのであろうか?。その後、青秋林道の建設反対運動を立ち上げ、白神山地の世界自然遺産登録に貢献、保護・保全活動に従事する中で、白神山地に関連する著作物が増えていく。人生、何が幸いするか分からない。
2022年10月11日(火)
久しぶりの陽射し、乾いた空気、今日は秋晴れの好天。家内を動員し、畑へ行ってサツマイモ(品種は紅はるか)の試し掘り。5畝あるうち、最初に苗を植え付けた畝18株を全て掘り上げる。
収量は15.6kg、チャンピオン芋は1.1kg。
出来はまずまずのようです。😊
2022年10月9日(日)
菜園へ行って小かぶ5個と紅白二十日大根8本を今季初収穫。どちらも9月1日に種蒔きしたものです。
葉も茎も一緒に浅漬けにします。😊
2022年10月8日(土)
縄文時代の狩猟採集生活に憧れや関心を持つ人なら、読むと面白いかもしれない。青森県西目屋村の最後の伝承マタギだった鈴木忠勝(1907-1990年)を、白神山地の生き字引と尊敬した著者根深誠が、四季を通じて白神山地を余すところ無く隅々まで跋渉し、生活の糧を自然の恵みに追い求め続けた山人、鈴木忠勝の暮らしと生き様を、後世に伝える為に対話録音し、津軽弁や山詞を読者に分かるように翻訳して記録した、弘前市出身にして山男の著者ならではの労作。
本書で、私が尊敬する江戸時代後期の大旅行家にして博物学者、菅江真澄(1754-1829)が弘前藩に7年間逗留し、その間に二度も暗門の滝を訪れたことを知りました。
2022年10月4日(火)
感仙殿、善応殿、妙雲界廟の拝観を終えて入り口広場のベンチで一服、一息ついてから同じ経ヶ峯の東南端にある仙台33観音霊場の結願所、第33番札所の大蔵寺観音堂へ向かう。戊辰戦争弔魂碑の前を通り、駐車場を抜けて、向山1丁目の住宅街へ。スマホのGoogle Mapを見ながら近づいて往くが、なかなか辿り着けない。結局、裏手のレストラン駐車場側から回り込み、漸く三間四方の立派な観音堂の前に出る。
同じ経ヶ峯の一角に建つが、瑞鳳殿の賑わいを他所に、仙台三十三観音霊場の結願所は地味でひっそりしている。他にお参りする人もなく、寂れている。ご本尊は聖観世音菩薩、御詠歌は、「三十三(みそぢ)みつ かくれば今ものちの世も やすく越え路(こえち)の 末ぞたのしき」。お賽銭をあげ、般若心経を唱えてから退出。
仙台三十三観音巡りは、元禄時代(1688~1704年)に始まったとされるが、廃寺になって観音堂だけがぽつんと残されている札所が9ヶ所、300年の歴史に終止符を打つ日が近いのかもしれない。
鹿落坂を下って、再び霊屋橋を渡り、北目町、五橋、新寺経由、メルパルク仙台前を通り14:00帰宅。3時間半、8.5km、11,700歩の散歩になりました。
2022年10月4日(火)
柏へ帰るJRの切符を買いに歩いて仙台駅の緑の窓口へ。大きな駅でないと、大人の休日倶楽部の割引チケットは買えないので、ちと面倒。無事購入し、序でに足を伸ばして、向山の経ヶ峯にある仙台三十三観音第33番札所の大蔵寺観音堂と、伊達政宗公の御霊屋(廟所)瑞鳳殿にお参りに行きました。仙台駅から北目町経由、片平の東北大学の脇を通り、
霊屋橋(おたまやばし)で広瀬川を渡り、瑞鳳殿が建つ経ヶ峯に上る。片道4 kmほど。伊達62万石を表すと云う62段の石段を昇り、
チケット売場で拝観料570円を支払って入場、結界の涅槃門をくぐります。アオモリヒバの大樹を用いて造られた涅槃門は豪華な装飾を施され重厚そのもの、
何と蛙股は霊獣麒麟(きりん)の彫刻では有りませんか。これは嬉しい。😊
瑞鳳殿の前に進むと、扉が開いており、秋の特別ご開帳期間(10月1日~16日)の由、幸運にも伊達政宗公の尊像を拝むことができました。これ又嬉しい。😄
お参りしてから、資料館で瑞鳳殿の見所を紹介するビデオを観賞、再び瑞鳳殿をじっくり見学しました。見事な極彩色の彫刻群です。飛天、
鳳凰、
獅子頭、伊達家家紋、
屋根の竜頭瓦など。
元の瑞鳳殿は、政宗死去の翌年の寛永十四年(1637年)、二代藩主伊達忠宗公により此処経ヶ峯に造営され、1931年国宝にも指定されましたが、昭和20年(1945年)の戦災で惜しくも焼失、現在の建物は1979年に再建されたもの。桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築が創建当時の姿で甦っています。本殿両脇の殉死者供養塔20基、
本殿入り口両側の家紋入り大香炉2基、
片倉小十郎奉納の石灯籠なども拝観してから退出しました。
次に隣の丘上に建つ感仙殿、善応殿、妙雲界廟の見学へ。瑞鳳殿の拝観券で共通に見学できますが、受付は無く、無料でも廟域に入ることが出来る?。
感仙殿は二代藩主忠宗公の廟所、
善応殿は三代藩主綱宗公の廟墓、
元の建物はやはり戦災で焼失し、どちらも1985年に再建されたもの、少し小ぶりだが瑞鳳殿同様華麗に荘厳されている。
感仙殿の右奥は妙雲界廟、九代藩主周宗(ちかむね)公、十一代藩主斉義(なりよし)公夫妻の墓がある。
歴代藩主の公子公女の墓域である御子様御廟はパスして、大蔵寺観音堂へ。
2022年10月3日(月)
最近は、独りで仙台に帰省することが多い。家内は柏で留守番、畑の作物の収穫や軒下の鉢物へ水やり、亀や金魚の世話、何より義母が入居している介護施設への対応に忙しい。私の食事をつくらないで済むだけでも大分楽になるはず。
現役の頃は転勤族、単身赴任歴は10年以上、今では24時間×365日フリーな自由人なので、当時より手の込んだ料理が出来る筈ですが、駄目ですね。
ついつい簡便な冷凍食品やインスタント食品に頼ってしまいます。今晩の献立も、ニチレイの五目チャーハン(冷凍食品)、アマノフーズのつるりなめこあかだし(インスタント味噌汁)、目玉焼き2個と、キリンビバレッジの野菜ジュース・48種の濃い野菜と簡素なものでした。😅