楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

寒茸採り(3)アラゲキクラゲ

2024年2月27日(火)

昨日の午後、南柏駅前のいつもの床屋へ散髪に行ったものの、大将の具合が悪いらしくお休み、仕方がないので新柏方面の林に転進、きのこ探し。

結果、切り株(栗?)にアラゲキクラゲが大量に発生しているのを見つけました。😊

持ち帰って、石突きを切り落とし、丁寧に水洗すると、約800gの大収穫!、😄

一部は早速、夕食の野菜炒めの具になりました。残りは風乾させて保存、佃煮や中華風スープに使います。

 

 

寒茸採り(2)エノキタケ

2024年2月25日(日)

22日、23日と雨が降ったので、畑の隣の空き地にある伐採木に発生したエノキタケが大きくなったのではと、昨日、畑仕事の序でに、見回りに行く。

まだ小さいけれど一部を採集、

アラゲキクラゲの幼菌がプチプチ出てきて今後が楽しみ。😊

家庭菜園(24-1)小松菜の花芽

2024年2月24日(土)

一週間ぶりに畑に行くと、留守中、風が強い日があったらしく、支柱が傾いたり、ネットが外れたり、荒れていて、修復がひと仕事。

また、最高気温24℃の日があったとかで、雑草の伸びが目立ち、小松菜もトウ立ちして花が咲いています。

コマツナはアブラ菜科の一種なので、花芽は菜の花の仲間、食べられます。

冬取り大蔵大根と赤丸二十日大根も収穫、

更に、九条ネギも採取しました。

冬野菜はそろそろ終わり、3月に入ると、春・夏野菜の種蒔きが始まります。

中村文則著「逃亡者」

2024年2月24日(土)

仙台への行き帰りの電車の中で大部分を読み、残りを昨日読んで読了。

中村文則の作品を読むのは初めて、ミステリー?、サスペンス?、物語はドイツのケルンから始まり長崎で終わる。

文庫本であるが580頁の長編、中弛みもあるが、長崎の潜伏キリシタンや、太平洋戦争末期、フィリピンのジャングルで窮乏する日本兵などが登場し、歴史小説かも。

同じ著者の「去年の冬、きみと別れ」を、もう一冊読んでみるつもり。

 

 

裏通りのドンダバダ

2024年2月23日(金)

これも、仙台のやまや榴ケ岡店で購入したビール。長野県軽井沢町の株式会社ヤッホーブルーイング製のクラフトビールである。

缶ラベルを見ると、伝統的ベルジャンエールをモダンに再構築した[Free-Style Belgian Ale]との由、商品名も飛んでいるが、味わいも尖っている。ホップ臭味が強くかなり個性的、好き嫌いが別れるかも。

原材料は、麦芽、ホップ、糖類。アルコール分6%。350ミリリットル缶1本288円(税込み317円)。

 

スプリングバレー Afterdark<黒>

2024年2月22日(木)

やまや榴岡店に行くと、限定醸造を謳うスプリングバレー Afterdark<黒>が売られていたので、買ってきました。クラフトビールですが、キリンビール滋賀工場製品、う~む。

原材料は、麦芽、ホップ、糖類(砂糖、乳糖)。アルコール分6%。味わいはまずまずですが、一番搾り<黒生>との差別化が今一、値段ほどの優位性は感じられません。😅

仙台三十三観音、第八番、第九番札所

2024年2月21日(水)

仙台駅のみどりの窓口に柏へ帰る切符を買いに行く序でに、駅近くの仙台三十三観音霊場、第八番、九番札所にお参りに行きました。

第八番札所の宝光院は明治時代に廃寺になり、聖観音立像は第九番札所の成就山満願寺天台宗)に受け継がれており、今は本堂(観音堂)の中に、満願寺のご本尊聖観音座像と共に、安置されています。

第八番札所のご詠歌は、「友人は同じ心にまちいつついのりてや行く今とのちの世」。

第九番のご詠歌は、「もろもろのねがいもみつるこの寺やまことの心ふかくいのらば」。

どちらのご本尊も厨子内に納められた秘仏とのこと、本堂の扉は固く閉まり、お姿は拝めません。堂前で般若心経を唱えただけで境内を退出、近くの錦町公園に立ち寄り、

ブロンズ製の少女像「いのり」(宮城県原爆被害者の会が1994年に制作し、仙台市に寄贈したもの)を見物してから、仙台駅へ向かいました。

679. 浦戸諸島・野々島(塩竈市)

2024年2月20日(火)

昨日は連チャンになるが、老骨に笞打って、浦戸諸島の野々島のハイキングに。仙台の山仲間に声をかけてみたが、突然の事で皆さんNG。

8:15出発、8:24榴岡駅発の仙石線東塩釜行きに乗り、8:50本塩釜駅下車。9:05マリンゲート塩釜に着いて、野々島までの片道乗船券を買う。580円。

9:30出航の塩釜市営汽船しおね号に乗り込み湾内クルージング、旅客定員99名のところ乗客は僅かに12人、ガラガラ。夏の観光シーズンは混むのかも、これでは採算はとれない。

桂島桟橋経由、10:00野々島上陸。まずは西端のごしょぼら貝塚の見学に行ってみるが、作業小屋が建つのみで、それらしき史跡はない。

諦めて、熊野神社にお参りし、鐘撞堂の鐘を3回撞き、両親と弟の菩提を弔う。

その先、ツバキの枝がトンネル状になった古道を進むと、道端に野仏や山の神が祀られている。

古道をツバキの小道に左折、実際は竹林の道。

10:55学校浜という小さなビーチに出る。

誰も居ないが、シーカヤックが多数陸揚げされている。

夏には賑わうのかもしれないが、ウッドデッキ付き建物は倒壊し、荒れている。

学校浜の右側を上に登り、ベンチで一服、カモメ島を眺めながら、

生茶を飲み、東京バージョンの萩の月を食べる。

その先、今は広い平坦な草地のラベンダー畑を抜けて、

車道を進み、11:25浦戸小中学校に着く。浦戸諸島唯一の学校で、現在43名の生徒が学んでいる由、野々島の生徒は1名だけで、42名は島外からの通い。

サッカーコートもプールもあるが、生徒の姿はない。教室で授業中かな。

プール後ろの裏門?から山道へ抜け、薬ヶ崎の先端まで、行ける所まで、詰めてみる。鉄梯子を伝って堤防の上に降りる。船着場?、使われている様子はない。

尾根に戻り、藪のかかる薄い踏み跡を先へ先へ。刈り払いはなされているようだが、枯れた松を伐採するための作業道か、下手な山歩きよりハードで面白い。12:00とうとう藪に阻まれ進めなくなる。その付近、左側は野々島Ⅱ農地海岸堤防であるが、農地は既に湿地に変わり、草ぼうぼうの荒れ地、

右側に薬ヶ崎貝塚史跡がある筈と野茨藪に入ってみるが、海岸には辿りつけず傷だらけ。辛うじて「薬ヶ崎貝塚平安時代土師器出土」木標を見つける。

12:40浦戸小中学校に戻る。12:45学校下船場、風は強いが島陰なので、寒風沢島へ渡してくれるとのこと、船頭さんが小屋で待機している。

観光客も乗せてくれるが、基本は学校に通う生徒の為の無料渡船なのであろう。今回はパス。

13:00風の丘。ベンチに座って生茶と自家製干し芋で腹ごしらえ。干潮なのか、眼下に見える宇内(うね)浜と焼島が地続きになっている。

せっかくなので宇内浜に下りて、焼島に渡ってみる。

ズボンの裾がちょっと濡れたが、何とか成功。

13:25夜泣き地蔵と六地蔵、島の墓地の入り口に祀られている。

墓地は奥へ行くほど、倒壊した墓石が放置されており、東日本大震災の爪痕は、隠れた場所に生々しい。

柳浜の堤防上を歩き、千代崎先端へ向かう。

先ほどの薬ヶ崎の薄い踏み痕とは異なり、千代崎へは遊歩道がきちんと整備されており、最先端の景色は素晴らしい。

引き返して、最後に、千手観音堂に立ち寄り、今日無事の御礼参りをしてから、14:15野々島桟橋に到着、14:23の塩釜に帰る船を待つ。4時間15分、17500歩。連チャンで、へとへとになりました。😆

しおじ号に乗って、15:00塩釜港着、16:00帰宅。

 

 

 

 

 

 

678. 権現森(仙台市)

2024年2月19日(月)

一昨日、仙台に再び帰省し、昨日は、今年初めての久しぶりの山歩き、行き先は仙台西郊の権現森、小さい里山でほんの足馴らし。

榴ヶ岡駅発8:52の仙石線に乗り、仙台駅で仙山線に乗り換え、9:32陸前落合駅着。広瀬川を渡る。船形山と泉ヶ岳が見える。

広瀬川沿いに進み、松尾神社に続く山道に入る。

10:10モミの木広場、春先にカタクリの花が見られる所だが、まだ早い。

モミの巨木に触れてから、その上のピーク(標高215m)に上がってみると、TV共同受信施設のアンテナが立つのみ。

先ずは権現森を目指し、11:15三度目の山頂(二等三角点、標高314m)に立つ。

山頂直下の見晴らしのベンチで一服、地元(麓の向田地区?)の男性登山者と親しく山談義。何でも飯豊連峰、朝日連峰など東北の名だたる山はもとより、北アルプス等も登っているベテランの方である。

引き返して、11:35権現森南峯(四等三角点、峯山、標高293m)に着く。

山頂に建つ松尾神社に参拝、お酒の神様なのでお賽銭を弾み、念入りに。😊

山頂から東に下り、県道を歩いて、吉成団地を抜け、仙台大観音へ。13:10仙台天道白衣大観音着、胎内拝観料は500円、像前で般若心経を唱える。台座を含む地上高100m(像高92m)は、日本では牛久大仏(全高120m、像高100m)に次ぐ大きさ、1991年の建立である。

境内のベンチで一服してから、国見ケ丘団地を抜けJR仙山線国見駅へ。途中、スマホの電池切れもあったが、14:15国見駅着。約4時間半、ca.12km、2万歩のウォーキングでした。14:19の電車がホームに入ってきてドンピシャ、宮城生協榴ケ岡店で食料品を仕入れ、15:15帰宅。

この後、17:30からマンションの管理組合総会があるので、何かと慌ただしい。

金子光晴著「マレー蘭印紀行」

2024年2月18日(日)

紀行文学の名作だが、昭和61年発行なので、字が細かい。目が疲れる。その上、まるで漢検準一級のテストでも受けているかのように、難読漢字が次々に現れる。頭も疲れる。

ま、それはともかく、著者が昭和7年の4ケ月間、マレーシアと蘭印(インドネシア)を放浪した紀行文を読むと、昭和初期の当時、ゴム園経営や鉱山経営で一山当てようとする日本人投機家や、娘子軍と呼ばれた島原や天草出身の流浪の女性達が、東南アジア各地の山襞深く住み着いていた事が分かる。

きのこ乾燥品

2024年2月17日(土)

先日、採集したアラゲキクラゲは、とりあえず干しきのこにしました。

干しきのこにすると、長期保存が効くし、食感や味も少し変わります。

中には干しきのこに向かないきのこもありますが、採れ過ぎて食べきれない場合、良く干しきのこを作ります。

昨年秋には、ポルチーニ(アカヤマドリとヤマドリタケモドキ)を干しきのこにしました。😊

ニワトコの若芽

2024年2月16日(金)

他の木の芽に先駆けて膨らみほどけるニワトコの若芽、山菜図鑑に載っていたので、昔、天婦羅にして食べたことがあります。

数個食べて暫くすると、胸がむかむかして、気持ち悪くなりました。それ以来、ニワトコの若芽は見るだけになりました。青酸配糖体が含まれている由、納得です。

毛蟹

2024年2月15日(木)

昨日、会社が休みの娘が久しぶりに帰ってきたので、年末に娘から贈ってもらい、そのまま冷凍しておいた毛蟹を解凍し、ばらして食べました。

北海道産の立派な毛蟹です。本当はお正月に食べる筈でしたが、年末年始は家内も娘も体調を崩し、お正月どころではなかった為、昨日まで延び延びになりました。

仙台に4年間住んで、色々な種類のカニを調理した経験を持つ家内は、蟹をばらすのが得意、脚の1本1本にハサミが入っています。

食べた後の殻も台所ゴミには棄てません。

堆肥桶に投入し、畑の肥料にします。😆

バレンタインデー

2024年2月15日(木)

昨日はバレンタインデー、家内と娘からチョコレートをもらいました。😊

家内からは、株式会社ヴィタメールジャポンの「マカダミア・ショコラ(ミルク)」、

娘からは、株式会社メリーチョコレートカムパニーの「ニョロニョロ チョコレート」と、株式会社ジャパンフレッシュの「シャインマスカット生チョコレート」。

去年より包みが小さくなった気がしますが😆、ま、貰えるだけでも有り難く、Vielen Dank!、ご馳走さま。🤗