楽山楽水日記(Ⅱ)

仙台市出身、今は柏市に住んでいます。旅行や山歩き、山菜やきのこ採り、家庭菜園、釣りなど、楽隠居の日々を綴ります。

スプリングバレー

2023年3月14日(火)

未だ3月というのに、このところ初夏のような暖かい日が続きます。こうなると、晩酌のお酒も日本酒やワインよりはビールが良く、近所のスーパーでキリン社クラフトビールのスプリングバレーを買ってきました。350ミリリットル缶1本が税込み273円、もはや庶民の飲みものとは言えません。

現在オンエアされている吉永小百合出演のCMは、キリン社横浜工場内にあるビヤレストラン・スプリングバレーブルワリーで撮影されたもの、働いていた本人が言うのだから、間違いないでしょう。

写真は、伊豆大島は波浮港にある踊り子の里資料館(旧港屋旅館)内に展示してあった吉永小百合高橋英樹、1963年公開の映画「伊豆の踊り子」の一場面です。18歳の小百合ちゃんに逢えました。😊

伊豆大島名所観光

2023年3月13日(月)

今日はレンタカーで島内の名所観光。6:15起床、まだ薄曇りだが天気は下り坂。白粥の朝食を済ませ、9:00発のホテル送迎バスに乗り込み、岡田港へ送ってもらう。9:30岡田港にあるJ.S.レンタカー営業所で、予約していた軽自動車、三菱のeKワゴンを借りる。12時間、3,000円の格安料金が嬉しい。車を運転するのは去年の6月以来、慎重、慎重!、時計回りに大島一周道路を走る。10:00、一ヶ所目の泉津の切り通しと椿トンネル、切り通しは大島一番のパワースポットとのこと。

10:15、二ヶ所目は都立大島公園の椿園、椿まつり(1月29日~3月26日)の期間中、あんこの手踊等が披露される特設ステージが設けられている。

園内を一巡り、ツバキは花の盛りを過ぎつつあり、落花が目立つ。温室に入って、珍しい花色の黄色のツバキや、

洋種椿の八重咲き、ナンシー・レーガン等を観る。

併設の動物園にも行ってみたが、鳥インフルエンザの影響で展示見合せがあったり、閑散としている。入園料が無料とあってはやむを得ず。観光客より園内管理スタッフの数がずっと多いのが気になるが、さすがは東京都、島の雇用対策施設なのであろう。

11:15、三ヶ所目の、東京都では唯一の国指定特別天然記念物「大島のサクラ株」に到着。樹齢八百年以上、島最古のオオシマザクラの古木は、主幹が既に失われており、四方に伸びた枝が着地して根を張り、そこから若枝が上に伸びて株立ち状態になっている。主幹が無いので巨樹という感じはしない。縄文杉と同じく観察台(デッキ)が設置されており、桜株には近寄れない。

11:45 四ヵ所目の筆島の展望台に着く。とうとう雨が降り始め、それも不穏な大嵐になる。風も雨も強く、車から外に出られない。暫く社内に待機、小降りになったところでテラスから写真を撮る。

更に一周道路を南下、12:20、五ヶ所目の波浮港見晴台に着く。都はるみが歌う「アンコ椿は恋の花」の歌碑が建つ見晴台から、眼下に波浮港を眺める。元々は、9世紀始めの噴火で出来た火口湖らしく、江戸時代の大津波で火口壁が崩れ、そこを拡げて港に整備した由、江戸時代から昭和初期、戦前迄は大島第一の港として殷賑を極めたと言う。

見晴台から六ヶ所目の波浮港に降りて、岸壁に駐車したのは12:45、先ずは昭和レトロ・大正ロマンを感じさせる波浮の町並みを通り抜け、

港の先端に建つ野口雨情の歌碑「波浮の港」を見物、

少し戻って文学の散歩道「踊り子坂」を上って、

踊り子の里資料館(旧港屋旅館)を見学する。NPO法人波浮の港を愛する会が運営管理する資料館は入館無料、有難いけれど大丈夫?。

館内の大広間には、踊り子一座や宴会に興じる人々の人形が飾ってあり、当時の面影を偲ぶことができる。

有り難く退館して、更に踊り子坂の長い石段を昇り詰めると、昔の網元の御屋敷、旧甚乃丸邸が建つ。大谷石の石塀や土蔵を持つ、なまこ壁の総二階造りの豪邸も、今は荒れ果てて観る影もない。やはり入館無料であるが、室内はガランとしていて調度品は何もない。

13:25車に戻る。名所巡りの最後は千波地区の地層大切断面、13:35着。ひぇ~、これは凄い。1953年、一周道路を建設するため山を削った時に発見された、600m以上も続く見事な縞模様の地層は、過去1万8千年の間に繰り返し起こった100回以上の大噴火の噴出物の痕跡である。今日一番の見もの、見応え。

西岸を北上し、元町経由岡田港へ向かう。途中、岡田郵便局向かい側のガソリンスタンドで、車のガソリンを満タンにして、満タン証明書をもらう。ガソリン1リットルが209円、島は物価が高く暮らしにくそう。14:20無事岡田港到着、一般駐車場に車を入れ、レンタカー会社に電話を掛けると、返却完了。鍵は付けたままでOK、誠に簡便でした。

ターミナルビル2階の売店で、お土産に牛乳煎餅2缶を購入、窓口で乗船券を受けとり、15:10発のジェット船2220便に乗り込む。乗船率は8割ほど、16:00館山港着岸。

下船して、待ち受けていた東海汽船の送迎バスに乗り込み、渚の駅館山迄送ってもらう。そこからJR館山駅までは徒歩15分、16:38発の木更津行きに間に合う。

何回か乗り換えて、19:30南柏駅到着、19:40のバスに乗り帰宅。

今回の旅行は、昨年秋の誕生日祝いに娘から贈られた宿泊ギフト(RING BELLのYADO Collction)が原資、有難いことです。Danke Shoen!。(完)

大島温泉ホテル(伊豆大島)

2023年3月12日(日)

16時15分ホテルにチェックイン、二階の320号室に入る。海抜500mの三原山外輪山に建つ、地上2階地下1階、部屋数40室の中型ホテル(三ツ星)であるが、エレベーターは無く、とにかく設備が古い。320号室は純和室、9畳の座敷に2畳ほどのサンルーム(丸テーブルと籐椅子2脚付き)が付いている。

部屋入り口を飾る椿の花の折り紙は精一杯のおもてなし、この3年間は貧弱な医療体制の島に於ける新型コロナ感染のクラスター発生を恐れ、来島自粛を要請してきた為、観光が主力産業の島のダメージは甚大で、大島温泉ホテルも老朽化に拍車がかかったかも。

家内と交代で地階大浴場と露天風呂へ汗を流しに行く。温泉は、三原山5号井、単純温泉(低張性中性高温泉)、泉温84.2℃、湧出量毎分108リットル(動力揚湯)、pH6.6の源泉掛け流しである。洗い場は9口、やや熱めの内湯大浴場は10~15人、やや温めの露天風呂は5~10人は入れる広さ。サウナやジャグジーなどは無く素朴そのものであるが、露天風呂から目の前に三原山の大観が眺められる。

18:30~19:40夕食。メインは名物料理の椿フォンデュ、串刺しにされた伊勢エビ、ホタテ、白身魚、野菜、アシタバ等に衣をつけ、椿油を沸かした鍋の中で揚げながら、出来立て・揚げたてを食べるスタイル、なかなか美味しいです。

他に、白身魚 2種類のお造り、金目鯛の煮付け、茶碗蒸し、明日葉のごま和え、島豆腐、サザエ御飯、アサリの味噌汁など盛り沢山、締めのデザートは大島牛乳アイスでした。

キリン社のラガー中瓶(横浜工場製)は1本900円、島値段です。夕食後、もう一度交代で温泉に入りに行き、湯上がりに持参の一番搾り350ミリリットル缶を開けて打ち上げ、疲れたので早めに床につきました。(完)

 

 

669. 三原山(伊豆大島)

2023年3月12日(日) 歩程4時間30分、11.2km、20000歩、同行妻

今日と明日は3月2日に行き損なった伊豆大島旅行の仕切り直し、4:50起床。6:18のバスで北小金駅へ出て、西日暮里乗り換え浜松町下車、7:45竹芝客船ターミナル到着。8:35発ジェット船1210便は無事出航、久里浜港を経由し、10:45伊豆大島の元町港接岸。

10:50発三原山山頂行き路線バスが待っている。飛び乗って11:20三原山温泉下車、既に標高は500m。今宵の宿、大島温泉ホテルのフロントに荷物を預け、身軽になって三原山ハイキングに出発する。先ずは三原山登山道路(車道)を緩く上がって行く。山中はヤブツバキ、キブシ、スミレ(タチツボスミレの変種のシチトウスミレ?)の花盛り。

右側に、与那国馬の放牧場が広がる。1998年、与那国島から移入された牡1頭牝2頭から繁殖させたもの、ホースセラピーとして観光に一役買っている。

12:00新火口展望台、1986年割目噴火の際に三原山内輪山から溶岩が流れ出た痕とカルデラ雄大な景色が眺められる。

その先で車道を離れ、左側の遊歩道に入る。令和元年房総半島台風(台風15号)の後遺症か風倒木が多く、倒木にカワラタケ、ツヤウチワタケ?、ヒイロタケなど硬質菌の発生が見られる。と、キョンらしき動物が前方の道を横切り、茂みに消える(1970年台風の時、都立大島公園動物園で飼われていた10数頭のキョンが、壊れた柵から逃げ出し、野生下で繁殖して、今では島民の人口7,000人を上回る10,000頭以上が棲息、特産のアシタバを食い荒らすなど農作物の被害は大きい)。

12:35外輪山の一峰、一等三角点(名称大島、標高603.4m)が置かれた頂に登り着く。

傍らに、火山活動による地殻変動を捉えるための装置、APS観測施設(測距・測角自動観測装置)が設置されている。一旦下って上り返し、四阿のある山頂口展望台に出る。四阿で休憩してから、途中の三原神社下社にお参りして、路線バス終点の三原山頂口に降りる。大駐車場、レストハウス、駐在所があり、観光客で賑やか。

御神火茶屋の前を通り、カルデラ内に降りる。カルデラ内の舗装道路を内輪山目指して坦々と歩いて往く。先駆植物で背の低いヤシャブシの木が多く、前年の実と今年の花を付けている。13:00パホイホイ溶岩、1777-78年安永の大噴火の時に流れ出た溶岩である。

ちょいと見物して先へ進む。やがて内輪山の麓に達し、山腹をジグザグに登って行くと、13:40 山頂の一端、四等三角点(名称三原火口、標高673.2m)に着く。その先にある三原神社(上社)にお参りする。

そこからいよいよ火口一周のお鉢巡り、反時計回りに進むことに。起終点にマグマの飛沫が積み重なってできた大岩、アグルチネートが聳える。

火口展望台を過ぎ、アップダウンを繰り返しながら進むと、表砂漠コース分岐を右に見送り、14:25 中央火口の底(標高497m)まで見える見晴らしに出る。火口の底を眺めるのは、浅間山、富士山に次いで3箇所め、浅間山ほどの凄絶さはないものの、地球の息吹が感じられ、素晴らしい。

そこからひと登りで、今日のコース最高地点、標高749mの剣ヶ峰に着いたのは14:35、

右下には真っ黒な溶岩砂礫の裏砂漠が広がる。日本で唯一、砂漠という地名を持つ場所である。

剣ヶ峰からは下る一方、14:45大島温泉ホテルコース分岐点(標高679m)に出る。家内は久しぶりの山歩き、疲れが見えるのでお鉢巡り一周は諦めて、そこから温泉ホテルコースを下る。

溶岩砂礫がジャリジャリして歩きにくい道をカルデラ平原までひたすら降る。15:20テキサスコース分岐点(標高540m)、やっと平坦になる。ススキやヤシャブシの先駆植物の原を過ぎ、樹林帯(樹海?)に入って、こもれびトンネルを抜け、

16:10大島温泉ホテルに無事帰還しました。(完)

 

東日本大震災から丸12年

2023年3月11日(土)

東日本大震災のあの日から今日で丸12年が経ちます。干支が一回り、被災地の復興が進み、津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部も、住宅移転や区画整理が完了し、今日では現地を訪ねても震災遺構以外は悲惨な爪痕を確認出来なくなりました。

発災3日後に、息子夫婦の救援と親類縁者の無事確認に、国道4号線を使って車で仙台に向かいました。

普段留守にしている仙台の自宅マンションの扉を恐る恐る開けると、リビングボードや洋服ダンスが倒れ、食器や書棚のガラスが割れるなどぐちゃぐちゃ、息子夫婦と一緒に片付けて、何とか布団を敷けるスペースを確保しました。以後約半年間、息子夫婦の避難生活住宅になりました。

翌日はガソリンを節約するために多賀城市まで片道10km余を徒歩往復、妹夫婦始め何軒かある親戚の安否確認とお見舞いに行きました。どの家も津波による浸水被害には遭ったものの、幸い命だけは無事、怪我もしていませんでした。

序に多賀城市に所有していたアパートを見に行くと、仙台新港に近いため、一階が天井まで完全に水没し、流れて来た車やコンテナ等の直撃を受けてめちゃくちゃになっていました(後日、全壊判定)。居住者の皆さんが勤めに出払っていた昼に大津波が襲って来たのが不幸中の幸い、亡くなったり怪我をした人がひとりも無く、ほっと安心いたしました。

東日本大震災の死者・行方不明者数(震災関連死含む)は22,312名、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。

(写真は、奥州観音霊場第33番天台寺薬師如来像)

内館牧子著「今度生まれたら」

2023年3月10日(金)

内館牧子著「今度生まれたら」読了。内館牧子作品を読むのは「終わった人」に次いで2作目です。

著者は1948年生まれの74歳、もう怖いもの無しで、女性の本音がズバズバ、男性批判も女性批判も的を得ていて笑えますが、私の「大和撫子」信仰はズタズタになりました。😅

自家製栗きんとん

2023年3月9日(木)

最近の3時のおやつは栗きんとん、息子のお嫁さん実家から頂いた大栗と、我が家の家庭菜園で収穫した紅はるかを材料に、昨秋、家内がどっさり作って型に容れ、冷凍庫に保存しているものです。

イチゴの収穫時期が近づいてきたので、その前に冷凍庫のスペースを空けねばとの理屈で、大好物の栗きんとんを家内はもりもり食べています。私はお相伴で少しだけ。せっかく痩せるためにスポーツジムに通ってはいても、こんな大きな栗きんとんを連日食べたら効果帳消しでは?、次回の体重測定は大丈夫かな?😆。

家庭菜園(23-4)埋納里芋全回収

2023年3月8日(水)

昨日は全国的に春本番の暖かさ、午後から畑へ行って、冬の間土中に埋納保存しておいた里芋を全て掘りあげました。

バケツ4杯分もあります。形の良い芋50個ほどは種芋として、間もなく予定地の畝に植え付けます。残りは洗って泥を落とし、乾燥させてから、自家消費。多分、食べきれないので、ご近所にお裾分けしたり、家内の友人に配ったりする積もりです。

 

一ノ蔵 といき

2023年3月7日(火)

本醸造酒一ノ蔵 といき」を飲み始めました。雑味があり、アルコールが分離している感じ、酒場詩人の吉田類お薦めと云うけれど、旨味が今一です。720ミリリットル1本が税込み1200円、まあ仕方ないかも。

原材料は、米と米麹(国産)、醸造アルコール精米歩合65%、アルコール分15%。命名吉田類自作の詩「美女酔うて 色なき風に 吐息のせ」から。

最近の吉田類NHKのTV番組「にっぽん百低山」に出演し、その地の美女と楽しく山歩きをし、下山後は美味しい日本酒を飲む姿を羨ましく観ていますが、そのせいで、「といき」を購入した訳ではありません。

一ノ蔵社第三代社長の鈴木和郎氏は大学の同じ学部の先輩で、昔色々とお世話になったので、時々は一ノ蔵社製品を飲まねば義理が廃るためであります。😅

色川武大著「離婚」

2023年3月5日(日)

色川武大の作品をもう一冊読みました。昭和53年(1978年)、第79回直木賞受賞作品の「離婚」です。

敗戦後の昭和は、バブルが弾ける1990年までは右肩上がりの好景気が続き、結婚、事実婚、同棲、家庭内別居、別居、卒婚、事実離婚、離婚など、此の本のように、男女の間柄は如何様でも、生き抜き、生き残る事が出来た時代です。その後1990年代の失われた10年、2000年代の失われた20年を経て、現在では様変わり。晩婚化、少子高齢化社会の進展とともに、独身主義、熟年離婚、死別による独居の高齢者が著しく増えています。生物体として強かな女性はともかく、ひ弱な男性は即要介護、下手すると寝たきり老人に転落してしまうでしょう。私も気を付けねば。最近の神社巡りで祈願するのは、ひたすら「棄てられませんように」。

家庭菜園(23-3)種じゃがいも植え付け

2023年3月4日(土)

気を取り直して畑仕事、今日は種じゃがいもの植え付けです。午前は男爵、1kgの種芋17個を2つにカットして、予定畝に3列20cm間隔に深さ5cm位に埋め込みました。

午後からはメークイン、同じく1kgで15個の種芋を2つにカットして、隣畝の30穴に埋め込みました。

旧芝離宮庭園&浜離宮庭園(東京都)

2023年3月2日(木)

5:00目覚まし時計で起床、久し振りの早起きです。簡単に朝食を済ませ、6:10出発、歩いて南柏駅へ。昨夜の強風が今年の関東の春一番、その名残の南風がまだ強く、果たして伊豆大島往きのジェット船は出るか?。東海汽船のホームページで運航予定を確かめると★印、条件付き出航のようであるが、ままよ。6:37の電車に乗り、西日暮里乗り換え浜松町駅へ。浜松町駅北口から徒歩10分で、8:00竹芝桟橋客船ターミナルに着く。受け付け窓口にネット予約メールを印刷したものを提示し、乗船券を受け取る。8:30乗船、二階のC-240/241席に座る。全席指定であるが空席が目立つ。4、5割程度の乗船率か。予定通り8:35出船、風が収まり青空も覗く。ジェット船は揺れも殆どなく快適なクルージング、30分も走るとアクアライン風の塔(川崎人工島)が左手に見えてくる。と、突然、海上の状況が悪いために引き返すとのアナウンスがあり、船はUターンを始める。こんなに穏やかな海なのにどうして?、嘗て唐津港から壱岐島玄界灘を渡海した時は、ピッチング&ローリングの大揺れで遥かに酷かったが、何とか辿り着けたのに、、。9:45竹芝桟橋に戻る。トホホ。

受け付け窓口で往路切符運賃の返金を受け取る。何ら欠航理由の詳しい説明もなく、皆さん文句も言わず、粛々と返金手続きを行い、四方に去って逝く。日本人は大人しいものである。伊豆大島の宿泊先とレンタカー会社に電話を掛け、ジェット船欠航で行けなくなった旨伝えると、もう欠航を知っており、あっさりキャンセルに応じてくれる。欠航の場合はキャンセル料は発生しないとのこと、それはそうでしょう。

やれやれ、このまま直帰するのは馬鹿らしいので、近くにある国指定名勝の旧芝離宮庭園と浜離宮庭園を見学することに。

先ずは旧芝離宮庭園から。受け付けで両庭園の共通入場券を購入すると、シニア割引でひとり200円、さすがは東京都。旧芝離宮庭園は幕末には紀州徳川家の芝御屋敷だったところ、今に残る最も古い大名庭園の一つである。池泉を中心とする回遊式庭園は、手入れが完璧に行き届いている。雪吊り松や雪見灯籠の姿が美しい。

林立する高層ビル群が後背に聳え、まるで江戸時代にタイムスリップしたような空間である。

次は、北へ徒歩15分の浜離宮庭園へ。中の御門から入場すると、こちらは広い。先の旧芝離宮庭園は43,000㎡、浜離宮庭園は約6倍の250,000㎡。

此方は江戸時代には徳川将軍家の「浜御殿」、四方を堀と川と海に囲まれ、江戸城の出城の役割もあったとか。新銭座鴨場、

馬場跡、観音堂跡、富士見山、庚申堂鴨場、水上バス発着場、梅林、

菜の花畑、

三百年の松(クロマツ

などを反時計回りに見物、

13:00再び中の御門より退出しました。浜松町駅に戻り、上野駅乗り換え、北小金駅からバスに乗って帰宅したのが15:00。伊豆大島旅行は、近く又、仕切り直しします。

赤城神社(流山市)

2023年3月1日(水)

駒木諏訪神社を出発し、スマホGoogle Mapを頼りに赤城神社へ。結局、散々迷い道をして、漸く赤城神社流山市流山6丁目649番地)到着。流山市内はGoogle Mapの更新が間に合わないほど、新しい道路や団地の建設、宅地開発等がどしどし行われている。😆

参道入口の随身門?に、名物の大注連縄が下がる。長さ7m、太さ2m、重量は500kgもあるそうな、毎年、氏子や地区住民が協力して製作し、奉納している由。

鳥居をくぐり、その先で石段を上がる。

社殿は海抜15mほどの台地に鎮座、創建は鎌倉時代と伝わり、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。

赤城神社の由緒には、上州赤城山が噴火し、その山体の一部が当地に流れ着いたことから、「流山」という地名が誕生したとの言い伝えがあるそう。赤城山の大沼湖畔に鎮座する本家の大洞赤城神社には、赤城山登山の折り何度かお詣りしたことがあります。関東を主体に300社の末社が存在するそうですが、流山市にもあるとは、恥ずかしながら、昨日まで全く知りませんでした。😅

駒木諏訪神社(流山市)

2023年3月1日(水)

昨日は午後から電動自転車に乗って、隣の流山市内の有名神社巡りに出かけました。流山市は人口増加率が、全国自治体の中でもトップクラス、2005年つくばエクスプレスが開業し、市内に3駅出来てからの躍進は目覚ましく、市のキャッチフレーズ「母になるなら、流山市」「都心から一番近い森のまち」も素晴らしい。井崎義治市長(2003年から5期連続当選)、やるね!。

先ずは流山市駒木655番地に鎮座する駒木諏訪神社、創建は平安時代初めの大同二年(807年)と伝わり、祭神は健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)。参道入口に神馬像が立っています。

一の鳥居、二の鳥居、随神門、三の鳥居、神門をくぐり抜け拝殿へ。型通り家内安全を祈願しました。

拝殿手前の左右にある狛犬ブロンズ像は、北村西望の作品(1982年、西望白寿の年に制作)。

その近くに、同じく北村西望作の「義家献馬の像」(1985年、西望最後の日展出品作)もあります。源義家八幡太郎)が後三年の役鎮守府将軍として奥州討伐に赴いた際、当社に武運を祈って征途につき、平定後の帰洛の途次、再び当社に至って乗馬及び馬具を奉献したと伝わります。

他にも、日本芸術院会員の雨宮敬子(あめのみやけいこ)氏の作品「七五三詣」、

同じく雨宮敬子作「感謝と祈り」像が建つなど、境内はまるで野外美術館のようです。

大鳥神社恵比須神社など境内社も数多建ち並び、実に立派な社です。また日を改めて、じっくりお詣りに来る事を決め、次は赤城神社へ。

Sunny Side Organic Red

2023年2月28日(火)

メルシャン株式会社がバルクで輸入し、国内で瓶詰め・販売するスペイン産赤ワイン、メルシャンワインズ サニー サイド オーガニック レッドです。

750ミリリットル1本が税込み690円。家内が料理に使っていた残りを、台所のガス台下から見つけだし、飲みました。😆

アルコール分13.5%、有機栽培ブドウを使用(有機農産物加工酒類)、ミディアムボディ、やや辛口のワインです。

こうなると、正にキッチンドリンカー、酒なら何でも良く、アル中一歩手前です。😅